« くっくくっく | トップページ | 断乳断行 »

ある猫の生と死


 家の近くで衰弱した仔猫を拾ったのは4年ほど前のことだった。
 洗面所で体を洗い、自分の部屋でミルクを与え、その日からいっしょに暮らし始めた。名前を「トロ」と名付けた。
 手のひらほどの小さな体ではあったが、次第に元気になり、夜は僕の胸の上で寝た。やがて、僕の手や足をおもちゃ代わりに追いかけ回し引っ掻いて、いつも 僕の手足は傷だらけだった。小さいけれど精一杯生きるトロの姿が、いろんなことに嫌気がさしていた僕に生きる希望を与えてくれた。
 しばらくして、トロは家の中だけで暮らすのが窮屈になってきた。もう立派なオス猫になっていた。毎週シャンプーしているおかげで毛並みは艶やかで、お腹の白い毛はきらきらと輝いた。トロは外の世界へ出かけたくてうずうずしていた。
 窓の隙間から外へ出るようになると、いつも決まってケンカをしケガをして帰ってきた。痛々しいその姿に心を痛めたが、トロは隆々たる体躯で、逞しく強い 目をして遠くを見ていた。そのころから僕も仕事が忙しくなりあまりトロに構うことはなくなっていった。トロはエサを食べるとき以外は外で暮らすようになっ た。
 それから僕は結婚し実家を離れることになった。
 トロは、体の毛が抜けおち、片眼はつぶれ、もう一方の眼もほとんど膿でふさがり、びっこをひいていた。見るからにつらそうだったのだが、かすかに見える トロの瞳はやはり強く逞しいものであった。もうトロの方から僕に近寄ってくることはなくなった。もう僕のことは忘れたのだろうと思った。それから2年ほど が過ぎた。
 数日前トロはガリガリに痩せていた。そして、僕を見つけると足にすりよってきて鳴いた。それはもう太く力強い鳴き声ではなく、最初見つけた仔猫のように 力なく切ない声だった。ほとんど見えていないはずの眼で僕を見ていた。最期の挨拶に来たのだと僕も悟った。あばらの浮き出た背中をなでると、うれしそうに のどをならした。
 その次の日からトロは姿を消した。
 不思議とトロの死に悲しさはなかった。僕には分かっていた。トロは短くも猫らしく生きた。そして猫らしく死んだのだと。

|

« くっくくっく | トップページ | 断乳断行 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ある猫の生と死:

« くっくくっく | トップページ | 断乳断行 »